寛喜 (かんぎ、かんき、旧字体:寛󠄁喜)は、日本の元号の一つ。安貞の後、貞永の前。1229年から1232年までの期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。
改元
- 安貞3年3月5日(ユリウス暦1229年3月31日):天災・飢饉のため改元。
- 寛喜4年4月2日(ユリウス暦1232年4月23日):貞永に改元。
出典
「後魏書」の「仁興二温泉一寛興二喜楽一」より。
寛喜期におきた出来事
- 2年-3年
- 寛喜の飢饉。
- 2年
- 6月9日:寒冷による大凶作に際し幕府が徳政を行う。
- 3年
- 6月6日:幕府から、各地の地頭たちが慣行としていた難破船の略奪を禁止する法令『海路往反の船の事』が出される。
- 10月11日:出家していた土御門上皇、阿波国で崩御。
西暦との対照表
※は小の月を示す。
脚注
関連項目




