2000年オーストラリアグランプリ (LXV Qantas Australian Grand Prix) は、2000年F1世界選手権の開幕戦として、2000年3月12日にメルボルン・グランプリ・サーキットで開催された。58周で争われたレースは3番グリッドからスタートしたフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝した。今シーズンからシューマッハのチームメイトとなったルーベンス・バリチェロが2位に入り、BMW-ウィリアムズのラルフ・シューマッハが3位に入った。

ポールポジションからスタートしたマクラーレンのミカ・ハッキネンと、2番手スタートのチームメイトデビッド・クルサードは共にエアバルブのトラブルでリタイアとなった。3名のドライバー、ウィリアムズのジェンソン・バトン、プロスト・グランプリのニック・ハイドフェルド、ミナルディのガストン・マッツァカーネがF1デビューを果たした。バトンとマッツァカーネはリタイアとなったが、ハイドフェルドは2周遅れの9位で完走となった。

背景

シーズン開幕に先立って、ブックメーカーおよび元F1ドライバー達はシューマッハが優勝する予想したが、多くがフェラーリのミハエル・シューマッハと1999年チャンピオン、マクラーレンのミカ・ハッキネンが優勝争いの中心になると考えた。シューマッハの元チームメイトであり今年からジャガーに乗るエディ・アーバインはシューマッハが優勝すると予想した。フェラーリで1979年にタイトルを獲得したジョディ・シェクターもシューマッハの優勝を予想した。

11チーム、22名のドライバーが出場する本GPは3名のドライバーがデビューした。ニック・ハイドフェルドはプロスト・グランプリに加入しジャン・アレジのチームメイトとなった。プロストの1999年シーズンのラインナップは2人とも入れ替えとなり、オリビエ・パニスはマクラーレンのテストドライバーに、ヤルノ・トゥルーリはデイモン・ヒルの後釜としてジョーダンに加入しハインツ=ハラルド・フレンツェンのチームメイトとなった。ミナルディではルカ・バドエルが1997年から始めたフェラーリのテストドライバーとしての役割に専念するため、代わってガストン・マッツァカーネが加入した。3人目のルーキー、ジェンソン・バトンはアレッサンドロ・ザナルディに代わってウィリアムズに加入した。バトンは2000年当時の最年少イギリス人ドライバーであった。多くの関係者、ドライバーがバトンを採用したウィリアムズの選択に疑問を抱いていた。ザウバーのミカ・サロは、バトンは経験不足で「自分か他の誰かを傷つけるだろう。」と述べた。

予選

ミカ・ハッキネンがチームメイトのデビッド・クルサードにコンマ35秒の差を付けてポールポジションを獲得、マクラーレンの2台がフロントローを独占した。ミハエル・シューマッハはクルサードのスピンによる赤旗のため最終アタックを放棄せざるを得ず、失意の3番グリッドとなった。クルサードはそのスピンを、シューマッハのフライングラップを混乱させるために「故意に行ったのでは無い。」と語った。予選トップ3の顔ぶれは前2シーズンと変わらなかった。シューマッハの新しいチームメイト、ルーベンス・バリチェロは4番手に入り、ジョーダンのハインツ=ハラルド・フレンツェン、ヤルノ・トゥルーリがサードローとなった。ジャガーのエディ・アーバインが7番手に続き、ジャック・ヴィルヌーヴ、ジャンカルロ・フィジケラ、ミカ・サロまでがトップ10となった。ウィリアムズのラルフ・シューマッハが11番手に入ったが、ルーキーのチームメイト、ジェンソン・バトンはラルフに1.6秒遅れの21番手となった。バトンの後ろはもう一人のルーキー、ガストン・マッツァカーネとなり、彼らの前はジャガーのジョニー・ハーバートであった。バトンは後に予選セッションは「これ以上悪くなることは無い。」と語った。

結果

決勝

22台中21台がグリッド上からスタートし、プロストのジャン・アレジがピットスタートとなった。ハッキネンはスタートにおいて第1コーナーでリードを確保するため、ポールポジションの位置を交換した。クルサードとシューマッハは2番手と3番手にそれぞれ残っていたが、バリチェロはターン1でフレンツェンに抜かれ5番手に後退した。トゥルーリは1周目を終えた時点で6番手を維持していた。後方ではバトンが順位を6番上げて21番手から15番手まで上ってきた。これはミナルディのマルク・ジェネとルーキーのハイドフェルドが衝突したためでもあり、ジェネは修理のためピットストップしなければならなかった。

2ラップ目にクラッチトラブルでジャガーのジョニー・ハーバートがリタイアする。4ラップ目までにマクラーレンの2台はシューマッハと共に、フレンツェンのジョーダンを引き離し、フレンツェンはシューマッハに5秒の差を付けられた。7ラップ目にペドロ・デ・ラ・ロサのアロウズのフロントサスペンションにトラブルが発生し、デ・ラ・ロサはタイヤバリアに激突した。ハーバートのチームメイト、アーバインはアロウズを避けようとしてスピン、エンジントラブルで再スタートできなかった。両者共にリタイアとなり、セーフティーカーが出動、コースマーシャルが残骸を清掃する間、他の車はスロー走行を余儀なくされた。

10ラップ目の終わりにグリーンフラッグが振られ、クルサードはエンジントラブルのため劇的に速度低下しピットインした。クルサードはコースに復帰したがトラブルは続き、結局11ラップ目にリタイアした。シューマッハが2位に浮上しフレンツェンは3位となる。バリチェロ、トゥルーリが続いてトップ5を形成した。BARのジャック・ヴィルヌーヴが6位を走行、バトンは12位を走行していた。ハッキネンはクルサードと同じトラブルのため18ラップ目にリタイアした。ハッキネンのリタイアでシューマッハがトップとなり、2位のフレンツェンに16.5秒の差を付ける。シューマッハは29ラップ目に唯一のピットストップを行い、フレンツェンが首位に立つ。シューマッハは3位でコースに復帰、トゥルーリの前を走行した。バリチェロが33ラップ目にピットインしたが、フェラーリはバリチェロがフレンツェンの前に出られるように2ストップ作戦に切り替えた。

トゥルーリは36ラップ目にギアボックスのトラブルでリタイアした。このリタイヤとピットストップで、バトンが36ラップ目のピットストップ前に3位に浮上した。フレンツェンも36ラップ目にピットストップを行ったが、ジョーダンのメカニックは給油でトラブルに遭遇し、フレンツェンは10秒以上を費やすこととなる。フレンツェンは6位でコースに復帰したが、3ラップ後にギアボックスのトラブルでリタイアした。バリチェロは2度目のピットストップ前、45ラップ目にチームメイトのシューマッハを抜いてトップに立つ。ピット後は2位でコースに復帰した。

マクラーレン、ジョーダンのそれぞれ2台がリタイアしたことで、ラルフ・シューマッハが3位に浮上した。ヴィルヌーヴが4位、ベネトンのジャンカルロ・フィジケラが5位となり、バトンが6位となった。11周を残す時点でバトンはエンジントラブルのためリタイアとなる。BARのリカルド・ゾンタが6位に浮上したが、ザウバーのミカ・サロに抜かれる。レースはシューマッハが58ラップ、1:34:01.987で優勝し、2位のバリチェロには12秒差、フェラーリの1-2フィニッシュとなった。ラルフ・シューマッハが3位に入り、僅差でヴィルヌーヴが4位となる。これによってBARはF1において初のポイントを獲得した。フィジケラが5位、サロのザウバーが6位に入った。しかしながらレースの数時間後にサロは車体規定の違反のため失格となり、ゾンタが6位に繰り上げとなった。

結果

レース後

レース後、ミハエル・シューマッハは以下のように語った:

第1戦終了時点でのランキング

  • :ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。

脚注


Australien GP 2000 Australien 2000 Formel 1 Fotos, Bilder

2002 Austrian Grand Prix preview A1Ring, Zeltweg, Austria. 9th May

2000 Austrian Grand Prix. A1Ring, Zeltweg, Austria. 1416 July 2000

2000 Austrian Grand Prix. A1Ring, Zeltweg, Austria. 1416 July 2000

Images Australian GP