滝川 平利(たきがわ ひらとし)は、江戸時代中期の旗本。通称は民部、三郎四郎。

生涯

元禄元年(1688年)、旗本寄合席の滝川具章の次男として生まれた。母は某氏で、父が40代半ばで生まれた子である。

元禄9年(1696年)3月、父が京都町奉行に任命されて京都に赴任することになり、暇乞いのために登城した父に従って初めて徳川綱吉に御目見した。このとき、まだ9歳であった。

元禄14年(1701年)、長兄の滝川数馬利忠が死去し、父の嫡男となった。

正徳2年(1712年)、父が死去し、跡目を許された。このとき、父の生前の願い出により遺領1500石のうち300石は弟の邦房に分与され、近江国内1200石を相続した。

享保4年(1719年)、32歳で書院番に番入りするが、同8年(1723年)に死去した。享年36。

妻の滝川元長(同姓であるが滝川忠征の玄孫で別系統)娘との間に子がなく、末弟の滝川具英が跡を継いだ。

脚注


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