宮地 惟友(みやじ よしとも、1932年〈昭和7年〉1月28日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。
NPB史上3人目・最小投球数(79球)の完全試合達成者。
経歴
専売金沢でエースとして活躍し、1952年に国鉄スワローズへテスト入団。1年目から一軍に定着すると、1953年には開幕投手を務めたが、この年の成績は3勝13敗という散々なものであった。
1956年9月19日、地元:金沢の石川県営兼六園野球場で行われた対広島カープ戦で球団初、NPB史上3人目となる完全試合を達成(昭和生まれ初)。79球での達成は2024年時点でもNPB最少記録。この年は12勝を挙げるが、その後は肩と肘を痛め、活躍できなかった。1959年に退団。その後は古巣の専売金沢に復帰し、1967年まで選手としてプレー。
1987年からは日本たばこの投手コーチを務めた。
選手としての特徴
オーバースローから投げ下ろすスライダー、ドロップ、シュート、シンカーと、多彩な球種を武器とした。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板・初勝利:1952年3月21日、対読売ジャイアンツ1回戦(後楽園球場)
- 完全試合1回:1956年9月19日、対広島カープ24回戦(石川県営兼六園野球場) ※史上3人目
背番号
- 17(1952年 - 1959年)
脚注
関連項目
- 石川県出身の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- ノーヒットノーラン達成者一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 宮地惟友 - NPB.jp 日本野球機構


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