二宮 熊次郎(にのみや くまじろう、1865年6月3日(慶應元年5月10日)- 1916年(大正5年)12月17日)は、明治時代から大正時代にかけて活動した日本の新聞記者である。「孤松」「震堂」「画美人楼主人」といった号を用いた。

人物

現在の愛媛県宇和島市に生まれる。父は宇和島藩士だった。宇和島に設置された「南予変則中学校」に学んだ。

15歳の時、藩校明倫館の助教となる。1883年(明治16年)に朝野新聞に入社。

1888年(明治21年)から1892年(明治25年)までドイツへ留学する。帰国後に山縣有朋の支援で内務省嘱託となり、日清戦争時には戦地で山縣の秘書も務めた。

内藤鳴雪の勧めで俳諧に進み、「孤松」は俳号として使用したものである。

1898年(明治31年)には日刊紙「京華日報」を、これも山縣の支援により創刊した。1904年(明治37年)に雑誌『世界』(現存する岩波書店の同名雑誌とは別)を創刊。1916年に死去した際も現役の編集者であった。訃報に接した山縣は「子のごとく そだちし庭の ひとつ松 なにそは夜半の 雪に折れけん」という弔歌を詠んでいる。

著書

  • 『少壮政治家の狂奔』博文堂、1880年

関連文献

  • 佐々木隆「明治時代の二宮熊次郎」『メディア史研究』No.23、ゆまに書房、2007年

脚注


今、なぜ二宮金次郎なのか?「本当の二宮金次郎のすごさ革命家の部分は、青年期にどんどん農村を復興させていったところにある」五十嵐匠監督に聞く

二宮金次郎…? pixiv年鑑(β)

二宮金次郎 by おいでやす (ID:8059571) 写真共有サイトPHOTOHITO

二宮金次郎 by hanapan (ID:3223342) 写真共有サイトPHOTOHITO

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